交錯するモンツァの記憶と、「第2のセナ」への想いを馳せて
イタリアGPの観戦記で、『フェルスタッペンの6周目1コーナーの接触回避に、彼のこの2年間の成熟をみた』と書いた。その記事を読み返したとき、2021年のクラッシュに加えて、モンツァの1コーナーにはもう1つの記憶があると気づいた。1988年の最終ラップ、アイルトン・セナが優勝を逃した「あの」1コーナーのクラッシュだ。
88年と2021年、23年の記憶が交錯するなか、「なぜ人はセナに思いを馳せるのか」「なぜセナは特別か」、そして「第2のセナは生まれるか」という夢に想いを馳せてみた。
※セナの略歴を別ページでまとめました。セナに詳しくない方はこちらもご覧ください。
■目次■
- 88年、上手の手から水が漏れたセナのクラッシュ
- 繰り返されてきた「○○はセナを超えた」の議論
- セナをセナたらしめるのは『神が造った舞台』を造ること
- 状況をひっくり返す「セナが造った奇跡」
- フェルスタッペンは「神の舞台」を造れるか?
- 満たされぬ郷愁を抱きつつ、それでも夢を見るF1ファン
- あとがき
88年、上手の手から水が漏れたセナのクラッシュ
有名なセナの接触リタイヤは88年モンツァの最終ラップで起こった。セナがトップで1コーナーを迎えたとき、目の前で周回遅れのジャン・ルイ・シュレッサーがブレーキングをミスして軽く白煙を上げた。
セナは周回遅れを抜く機会とみて、インに飛び込む。一方のシュレッサーはこの狭いコーナーでセナに譲る意図はなく、シケイン切り返しの右カーブで両者は接触。セナはシュレッサー車にはねられたのちに後ろ向きで縁石に乗り上げ、亀の子状態に。まさかのリタイアを喫した。
5秒後方につけていたベルガー、アルボレートのフェラーリ勢が1-2に繰り上がり、そのままフィニッシュ。88年のマクラーレン・ホンダ唯一の黒星だ。フェラーリ創業者のエンツォ・フェラーリの死去1カ月後の弔い合戦の勝利とあって、フェラーリの聖地モンツァは怒涛のような熱狂に包まれた。
セナは接触の原因を「自分のミス」と認めている。当時の第1シケインは現在のような単純なレイアウトではなく、コース幅が狭いうえに左・右・左・右と切り返す複合コーナーのようなレイアウト。シュレッサーがブレーキミスしたとはいえ、コントロールラインで1秒近くあった相手を抜くのは無理があった。
セナの動きについて、今年のイタリアのFP2でフジテレビNEXTの解説を務めた津川哲夫さんはこのようにコメントした。「セナは前のクルマを抜かずにいられない人。その部分が出てしまったんだろう。追い抜きが得意だからこそ突っ込んだ」——。
イタリアGP時点でセナは王座争いのトップを走っており、ここで勝てばリードは盤石なものになるはずだった。しかし、上手の手から水が漏れた。
セナは「最速の人」ではあったが、決して「完全な人」ではなかった。完全でないからこそ、いまでも多くの人の心をつかんで放さないヒーローなのだろう。
繰り返されてきた「○○はセナを超えた」の議論
今年のフェルスタッペンはイタリアで史上最多の10連勝を決め、「セナを超えた」とも評される。
私はこの手の「〇〇はセナを超えた」との表現をあまり信用できない。一時はミハエル・シューマッハも、ベッテルも、ハミルトンもセナを超えたことになっていたからだ。
しかし、シューマッハがメルセデス時代を迎えたとき、セナと比較されることは皆無だった。フェラーリ時代以降のベッテル、現在のハミルトンもセナとの比較の言葉はほぼない。
それでは、セナを伝説たらしめているのは何だろうか。
理由のひとつは、セナは94年のタンブレロで天国へと旅立ってしまったことだ。
私たちはセナの全盛期の姿しか見ていない。いや、ドライバーとして円熟する全盛期はこれからだったかもしれない。本来はタンブレロの先に4回目、5回目の王座があるはずだったし、いずれはシューマッハやハッキネンに負けるときが来たはずだ。
セナが生きていたら、どのような形で後進のドライバーに時代を託したのだろう。想像もできない。衰えの時代も経験したシューマッハらは、全盛期で散ったセナと単純比較できないと感じる。
2つ目の理由は、セナにはプロストがいたことだ。これだけ傑出したドライバー2人が同時代に存在し、88、89年はチームメイトとして、90年は最強マシン同士でぶつかり合うことはF1の歴史上ほとんどない。
21年のフェルスタッペンとハミルトンは近年で唯一の例外だったが、対決はたった1年で終わってしまった。
89年に始まるセナ・プロの確執は、F1にとどまらず自動車業界、フランス政界をも巻き込む論争に発展した。私は2人の確執を、互いに内心ではリスペクトし合った『偉大なる兄弟ゲンカ』だと感じている。
さらに3つ目の理由として「予選での絶対的速さの追求」が挙げられる。生涯で65回のポールポジション記録は、当時歴代2位のクラークとプロスト(33回)の倍近くで、「絶対に破られるない金字塔」とされてきた。
セナをセナたらしめるのは『神が造った舞台』を造ること
しかし、「志半ばの夭折」「ライバルの存在」「予選での圧倒的速さ」だけではセナを表現しきれない。私は、セナが伝説として語り継がれる大きな要因はほかにあると感じる。
それは「神が造るような舞台」を自分で造ってしまうことだ。
私はF1を見始めたのは92年で、セナの3回のタイトル獲得はリアルタイムで見ていない。それでもセナが「神が造ったような舞台」で勝つ姿を何度か見てきた。
そのうちの1つが93年第2戦のブラジルGP。セナの地元で迎えたレースだ。
当時のセナ+マクラーレン陣営は、アクティブサスとルノーエンジンを持つプロスト+ウィリアムズ陣営に戦力で圧倒的に負けていた。
セナは予選で、ポールポジションのプロストに1.8秒の大差をつけられる3番手にとどまった。得意のはずの予選で、決して予選重視でないはずのプロストにこれ以上ない恥をかかされた。
スタートで2位に上がるが、11周目にプロストのチームメイトのヒルに抜かれて3位に落ちる。この日がF1デビュー4戦目で、ウィリアムズ加入2戦目のヒルにあっさり抜かれる、というところにセナの苦境が表れた。セナ応援に駆け付けた地元の観衆も静まり返った。
ところが、インテルラゴスに突如の豪雨が降り出す。ホームストレートで鈴木亜久里と片山右京の2台がクラッシュ。滝のような雨で、ストレートの奥を見通すこともできない。
プロストは無線トラブルで2周にわたってピット入口を通り過ぎ、豪雨のなかをスリックで走った。30周目、1コーナー外側で停止したフィッティパルディを避けられぬままクラッシュ。プロストはマシンを降りた。
セナに降ってきた勝機だ。この瞬間、観衆からは割れんばかりの歓声が起こった。
雨による混乱を受けて近代F1では初となるセーフティーカーが導入された。セナは一時、黄旗違反を取られて首位のヒルに大きく遅れたが、隊列の徐行走行により前後の間隔はほぼゼロとなった。
37周目にセーフティーカーが解除となり、各車がスリックに交換すると2位セナは首位を行くヒルに猛然とスパート。40周目にインフィールドのヘアピンで一気に抜いた。
セナはそのまま独走でチェッカーを受けた。コース上になだれ込んだ観衆にふさがれ、ウィニングランを回りきれずにコース上でストップ。セナはオフィシャルカーのフィアットの窓枠に腰掛け、手を振りながら凱旋のようにコースを回っていった。
プロストをクラッシュに追い込んだ豪雨はサンパウロでは珍しいものではない。サンパウロ出身のセナは雲の様子から豪雨になると読み、早めにタイヤを替えていた。神が豪雨を降らせたのではない。セナがいたからこそ、豪雨が「神が造ったような舞台」にように見えるのだ。
状況をひっくり返す「セナが造った奇跡」
それより2年前の91年ブラジルは、ギアトラブルで6速しか使えない状態、残り3周の雨、ゴール後のセナの嗚咽が偶然にも放送マイクに入った「伝説のレース」だった。
しかし、93年のブラジルも、スコール性の雨、最大のライバルであるプロストのクラッシュ、ヒルへの追い抜き、最後の凱旋と、こちらも伝説的レースだった。最強ウィリアムズの強さを肌身に感じていただけに、リアルタイムで見た93年の逆転劇にカタルシスを感じた。
私がリアルタイムで見た92-93年だけでも、92年モナコでのマンセルとの大バトル、93年ドニントンでのオープニングラップでのごぼう抜きなど、多くの伝説的レースがある。
92年モナコの残り8周でマンセルに起きたタイヤトラブルは偶然のアクシデントだが、2位セナとのタイム差がもう少し大きくても、小さくても、あのバトルは起きなかった。マンセルと28秒差で食い下がったセナの走りがあるからこそ、大バトルの奇跡は生まれた。
そして、93年ドニントンも「神が造った逆転劇」ではない。英国でよくあるシトシト雨をセナというフィルターを通して見たからこそ、私たちは「奇跡」だと感じるのだ。
セナのセナたるゆえんは『神が造りし状況』を自分で造ってしまうことだった。
そして、奇跡はセナが勝つことだけにとどまらない。
前述の88年モンツァもセナの視点では周回遅れの処理を焦ったミスだ。しかし、セナの肩越しに観衆がフェラーリ2台を見ると、「エンツォ追悼の奇跡の逆転勝利」だった。
モンツァの「神が造りし奇跡」も、セナが一役買ったのだ。
フェルスタッペンは「神の舞台」を造れるか?
セナ以降のドライバーの「劇的勝利」「劇的逆転」の事例を取り上げたい。
シューマッハの場合は98年ハンガリーの大逆転や、2000年日本のタイトル決定劇が記憶に残る。しかし、それらはロス・ブラウンの知恵やクルーの迅速な作業、そしてシューマッハの圧倒的ドライビングが生んだ勝利だった。
ハミルトンは08年最終戦ブラジルでの最終周でのタイトル決定劇が挙げられる。しかし、グロックの後退はスリック走行のギャンブルが最終周の失速を招いた、という表現が正しく、ハミルトンが起こした「奇跡」とは表現しがたい。
20年のトルコで摩耗しきったインターミディエイトタイヤで最後まで走り切ったドライビングや、同年イギリスGPでの最終周のタイヤバーストを乗り切った優勝も記憶も新しいが、これらもハミルトンのテクニックが呼んだ勝利といえるだろう。
なにより彼の場合は14~20年のメルセデス全盛期と重なり、いまひとつ逆境を跳ね返したカタルシスの印象が弱い。
そしてフェルスタッペン。今年の彼の10連勝、12勝(イタリアGP終了時点)のなかには、雨中のオランダのような本人のテクニックがさえた逆転勝利もあった。シーズンを通じてミスもほとんどない。
しかし、レッドブルの戦力が黄金期となっていること、ライバルのフェラーリ勢、メルセデス勢がそろって不振であること、モナコのアロンソのような敵失もあり、順当に勝ち切ったとの印象が強い(※その「順当に勝つ」を10回繰り返すことが偉大なのだが)。
タイトル決定劇として有名な21年アブダビ、そして突如の連覇が決まった22年の大雨の日本も劇的レースの候補に入りそうだ。しかし、いずれも「FIAの介在」という点で論争があるのは確かだ。
そのほかの候補としては15年スペインでの18歳での史上最年少優勝、16年ブラジルでの雨中の追い上げが挙げられる。特にブラジルの走りは「セナのドニントンのような走り」と例えられた。
今後、フェルスタッペンは「神が造りし状況」を自ら造ることはできるだろうか。
満たされぬ郷愁を抱きつつ、それでも夢を見るF1ファン
最近は雨天でセーフティーカーが入ったり、赤旗になったりで、すぐにレースが止まってしまう。雨がらみの伝説は起きづらいかもしれない。現代F1は緻密で、緻密の蓄積が大差となるがゆえに、一度ついたマシン差やチーム差を簡単にはひっくり返せない面もある。
セナを思い出せば思い出すほど、愛すれば愛するほど、「第2のセナ」は現れない。そもそも「セナ」の定義自体も私の仮説は間違いで、ファン1人1人が別の「セナ像」を持つに違いない。
私たちは次世代、そのまた次の世代へセナの存在を語り継ぎ、F1を見続ける。
ファンは「セナ不在で満たされぬ郷愁」を感じつつ、それでもセナを超える存在に夢を抱くのだろう。
あとがき
イタリアGP1コーナーでの今年のフェルスタッペンの動きをきっかけに、88年1コーナーでのクラッシュを連想し、セナを題材にした記事を書きました。
木曜日夜に着想を得て、金曜日中に書き上げる躁状態での執筆でした。しかし、セナという題材は躁状態でなければ書ききれなかったと思います。
一番頭を使ったのは、「セナの特別さをどう言語化するか」でした。予選の速さだけでもなく、志半ばで夭折した悲劇性にあるわけでもない。そこでたどり着いたのが「神が造ったような状況を、自分で造ってしまう」ことでした。
若いF1ファンも増えましたが、私たちオールドファンとの違いが「セナの特別性」の認識にあると思います。若い人はなぜオールドファンが「セナ、セナ」と口にするのかわからない。私ですら91年以前のセナはリアルタイムでは知りません。
たとえ少数の方であっても、この記事がセナを語り継ぐ助けとなるよう願っています。
(おまけ)
ここまで書き終えたとき、モンツァ1コーナーの「魔物」は96年ヒルの急増タイヤバリアへの接触、99年ハッキネンの単独スピン、06年アロンソのエンジンブローの事例もあると気づいた。このコーナーは王者に向けた鬼門、あるいはチャンピオンを養成する孵化(ふか)器の役割もあるかもしれない。
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