F1五輪観戦記

F1を中心に、五輪なども取り上げるスポーツ観戦記です

「学べる期間」が短すぎたルクレールの悲劇

物憂げな表情を浮かべるルクレール。この表情が最高に絵になることもまた、彼の悲劇である

フェラーリ5年目となるルクレールが苦闘している。私は、ルクレールにとって不幸なのは『学べる環境』に身を置くのが短すぎたことだ、と考えている。

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(この記事は「X(Twitter)」での「F1を分析するアグネスタキオン」さんへの返信を下地に書き上げました)

育成期間が短いルクレール

ルクレールは18年に、この年からアルファロメオの支援を受けたザウバーからF1にデビューした。

しかし、新人育成で定評のあるペーター・ザウバーはすでにチームを勇退。かつては「どこでも通用するドライバーを育てるチーム」との位置づけだったが、それ以降は事実上、「フェラーリのためだけに人材を供給するチーム」となった。

(※チームとドライバー育成の相関図は、ぜひ過去記事をご覧ください)

チームメイトはエリクソン。今でこそインディ500を制覇した有力ドライバーだが、この年まで目立った成績を挙げられず、「ペイドライバー」との評価が多かった。

当時フェラーリに所属したライコネンはピークを過ぎたように思われた。

フェラーリ本社と当時のチーム代表・アリバベーネは、ルクレール獲得かライコネン継続かで大いにもめた。

結果は19年のルクレール獲得で決着。ライコネンは入れ替わりで新生アルファロメオに加入した。

1年でフェラーリ入りした悲劇

長い目で見ると、ルクレールが1年でフェラーリに引き上げられたのは悲劇だった。

19年後半のベルギーで初優勝し、続くイタリアでメルセデス2台を封じて9年ぶりの地元制覇を成し遂げた。前年のライコネンがハミルトンとボッタスに挟み撃ちにされる形で敗北しただけに、フェラーリ「全員がルクレールを向いたチーム」になってしまった。

一方で、ベッテルは冷遇の憂き目にあった。同じイタリアで序盤にスピン。シンガポールでは勝ったものの、ブラジルでは同士討ちを演じ、ますますベッテルの立場は微妙に。

オランダGP予選でクラッシュし、チェアでたたずむルクレール

翌20年はチーム自体も不振にあえぎ、数々の作戦ミスもあってルクレールともども表彰台は1回ずつ。ベッテルはランキング13位に終わった。

このチーム状況ではベッテルから教わるどころでなく、ルクレールフェラーリのプレッシャーをすべて背負うこととなった。

ルクレールと重なるアレジのキャリア

ルクレールと重なるのがアレジのキャリアだ。

アレジは89年途中、ドライバー発掘に定評のあるティレルからデビュー。翌90年はアメリカGPでの有名なセナとのバトルを含め、2回の2位表彰台を獲得した。

このとき、フェラーリ内部は90年末の引退を表明したマンセルに代わって、ベネトンのナニーニを獲るかアレジを獲るかで大もめにもめた。

結局、ナニーニとの交渉はまとまらず、まだフル参戦1年目のアレジを獲得することに。(なお、マンセルは引退を撤回してウィリアムズに移籍した)

ここからアレジの受難は始まる。

翌91年のチームメイトはプロスト。2人の関係は良好だったが、マシン開発は失敗し、チームの内情はガタガタだった。フィオリオ監督はシーズン半ばで解任され、プロスト自身もチーム批判によって最終戦を前に解雇された。

92年のF92Aは前年以上の駄作。チームメイトのカペリは戦力にならず、ティフォシから絶大な人気を得た以外はなにも成果のないシーズンとなった。

93年以降はベルガーが加入。94年、95年はマシンの戦闘力も回復した。

95年のアレジ

しかし、一度フェラーリのすべてを背負ったアレジはプレッシャーを分散できなかった。さらに本人には悪いが、開発能力は一切改善しなかった。これはベネトン時代以降も続くことになる。

(本人の名誉のために述べると、タイヤの使い方のうまさは定評があった、とのこと)

メンター不在のルクレール

「F1を分析するアグネスタキオン」さんは、「ベッテルにおけるシューマッハ、フェルスタッペンにおける父親のような存在がルクレールにもいたら、もう少し状況は違ってきたかもしれない」と指摘する。

その指摘は正しい。フェルスタッペンはそれに加えて、クリスチャン・ホーナーやヘルムート・マルコといった首脳陣がいる。ハミルトンも父親のアンソニーマクラーレン時代のロン・デニスメルセデス時代のラウダといったメンターがいた。

タキオンさんは「本当は、ビアンキがそうなるはずだったんだろう」と語っている。ビアンキルクレールの8歳年上。順調にキャリアを重ねていたら良き師匠となったに違いない。

鈴鹿でのクラッシュが元で亡くなったビアンキにささげられた花束

現在のチームメイトのサインツも5歳年上だが、22年は波が大きく、今年はチームへの不信感を抱えている。良き僚友ではあるが、メンターとはなりえない。

私はハミルトンのフェラーリ移籍でルクレールのメンターとなることを期待していたが、メルセデスとの契約延長で可能性は消えてしまった。ラッセルは昨年、大きく伸びたが今年は伸び悩んでいる。ハミルトンは彼のメンターとなるのだろうか。

ほかにルクレールのメンターとなりそうな人物は見当たらない。

驚天動地の「アロンソフェラーリ復帰!!!」ということなら強力なメンターとなりそうだが、かつてチームを出た経緯を考えると、その可能性は限りなくゼロだろう。

ルクレールは「何があっても、絶対にフェラーリは離れない」と断言している。彼が一身に背負うプレッシャーを開放できる人物は現れるのだろうか。