F1五輪観戦記

F1を中心に、五輪なども取り上げるスポーツ観戦記です

フェルスタッペンの凄みをみた10連勝、サインツMVP級の活躍——イタリアGP

レース序盤、フェルスタッペンを必死に抑えるサインツ

フェルスタッペンが今季12勝目を挙げ、F1新記録となる10連勝を達成した。ペレスもラッセルやフェラーリ2台とのし烈なバトルを制して2位を獲得。チームは開幕14連勝を1-2で決めた。フェルスタッペンがバトルで凄みを見せ、ホンダが35年前の雪辱を果たしたともいえるレースだった。

接触回避、凄みをみせたフェルスタッペン

6周目のフェルスタッペンの動きに、今年の彼の凄みを見た。

第1シケインで首位を行くサインツにアウトから並びかかった際、サインツシケイン切り返しの2コーナーのイン側を厳しく締めた。

そのときフェルスタッペンはブレーキを踏んでサインツとの接触を回避。縁石への乗り上げもなく、クルヴァ・グランデへ加速していった。私はこの接近戦が「無事に終わった」ことに驚いた。

第1シケインの縁石内側のオレンジ色の部分は一段高くなっている。そこを乗り越えると真後ろのルクレールに抜かれるとともに、マシンのフロア部にダメージを受ける可能性が高い。一方で、サインツ接触してウィングなどを壊すと、同様に優勝は消えてしまう。

今回はそのどちらも起きず、フェルスタッペンはサインツリアタイヤとオレンジ縁石の間のギリギリのスペースを抜けていった。

2021年の同じ場所で、フェルスタッペンはまったく同じ攻撃を仕掛けてハミルトンとクラッシュした。今日の6周目の動きはこの2年間の彼の成熟を感じさせるシーンだった。

参考:F1公式YouTube「2021年のハミルトンとフェルスタッペンの接触

不屈の精神でレッドブル勢を抑えたサインツ

今回のMVPは間違いなくサインツだ。

予選ではフェルスタッペンに0.013秒差、ルクレールに0.067秒差でポールポジションを獲得。決勝でもスタートでうまく蹴り出し、フェルスタッペンを抑えて首位で1コーナーを通過した。

後ろにレッドブル勢が迫っても、サインツの粘りがさえた。フェルスタッペンに対しては15周目のロッジアまで、ペレスに対しては39周目ごろから46周目の第1シケインまで、不屈の闘志で抑え込んだ。

特にフェルスタッペンに対しては第1シケインで簡単にインを明け渡さず、ストレートではアウト寄りとも中央寄りともいえない、いやらしいライン取りを続けた。フェルスタッペンがようやく攻略できたのは、サインツのタイヤが摩耗して1コーナーのブレーキングで白煙を出し、クルヴァ・グランデでアウトからサインツと並走してロッジアで抜いたときだった。

15周目、サインツがブレーキで苦しんだのを見逃さず、クルヴァ・グランデでアウトから並びかけるフェルスタッペン

ペレスに対しても屈強なブロックをみせた。相手のラインを厳しく締めてエスケープに追いやることもいとわなかった。ここはモンツァ。絶対に抜かせない——。

レッドブル2台に前に出られてからも、サインツには身内同士の血で血を洗うようなバトルが待っていた。48周目にはルクレールが第1シケインのギリギリのブレーキングで前に出たが、サインツはロッジアで抜き返す。最終ラップの第1シケインや最終コーナーのクールヴァ・アルボレートでも、タイヤスモークが上がる接触寸前のバトルがあった。

この手のチーム内バトルは「対フェルスタッペンを考えるならチームオーダーを発動すべき」との見方があるだろうが、今のフェルスタッペンとレッドブルは小手先のチームオーダーでどうにかなる相手ではない気がする。

フェラーリ身内同士の血で血を洗うバトル

フェラーリがスタートで1-2の状況が作れなかった以上、ティフォシの前でドライバーの本能を発散させるのが、残念ながら今日のレースの意義だったと感じる。

35年前の借りを返したレッドブル・ホンダRBPT

レッドブル・ホンダRBPTの2台は、ウィニングランのほぼ1周を2台並んで走行した。コース後半では太刀持ち、露払いのようにフェラーリ2台を従えた。

2台並走はフェラーリの聖地モンツァでのレッドブルの強さのアピールか。

それとも35年前に連勝を止められた雪辱を果たした喜びか。

チェッカー後のフェルスタッペンの無線交信とレッドブルの2台

フェルスタッペンは終盤に冷却の問題を抱えていたようで、一時は12秒あった後続との差がゴール時は6秒に縮まった。2位にペレスが控えるとはいえ、トラブルの情報に35年前の「あの」ファイナルラップを思い出した。

表彰式の映像でフェルスタッペンを見上げる首脳陣の姿があった。彼らは連勝を喜ぶというより、勝者を茫然と仰ぎ見る表情に見えた。チームスタッフすら畏敬を感じさせるフェルスタッペンは、どこまで成長するのだろうか。

「学べる期間」が短すぎたルクレールの悲劇

物憂げな表情を浮かべるルクレール。この表情が最高に絵になることもまた、彼の悲劇である

フェラーリ5年目となるルクレールが苦闘している。私は、ルクレールにとって不幸なのは『学べる環境』に身を置くのが短すぎたことだ、と考えている。

◇       ◇

(この記事は「X(Twitter)」での「F1を分析するアグネスタキオン」さんへの返信を下地に書き上げました)

育成期間が短いルクレール

ルクレールは18年に、この年からアルファロメオの支援を受けたザウバーからF1にデビューした。

しかし、新人育成で定評のあるペーター・ザウバーはすでにチームを勇退。かつては「どこでも通用するドライバーを育てるチーム」との位置づけだったが、それ以降は事実上、「フェラーリのためだけに人材を供給するチーム」となった。

(※チームとドライバー育成の相関図は、ぜひ過去記事をご覧ください)

チームメイトはエリクソン。今でこそインディ500を制覇した有力ドライバーだが、この年まで目立った成績を挙げられず、「ペイドライバー」との評価が多かった。

当時フェラーリに所属したライコネンはピークを過ぎたように思われた。

フェラーリ本社と当時のチーム代表・アリバベーネは、ルクレール獲得かライコネン継続かで大いにもめた。

結果は19年のルクレール獲得で決着。ライコネンは入れ替わりで新生アルファロメオに加入した。

1年でフェラーリ入りした悲劇

長い目で見ると、ルクレールが1年でフェラーリに引き上げられたのは悲劇だった。

19年後半のベルギーで初優勝し、続くイタリアでメルセデス2台を封じて9年ぶりの地元制覇を成し遂げた。前年のライコネンがハミルトンとボッタスに挟み撃ちにされる形で敗北しただけに、フェラーリ「全員がルクレールを向いたチーム」になってしまった。

一方で、ベッテルは冷遇の憂き目にあった。同じイタリアで序盤にスピン。シンガポールでは勝ったものの、ブラジルでは同士討ちを演じ、ますますベッテルの立場は微妙に。

オランダGP予選でクラッシュし、チェアでたたずむルクレール

翌20年はチーム自体も不振にあえぎ、数々の作戦ミスもあってルクレールともども表彰台は1回ずつ。ベッテルはランキング13位に終わった。

このチーム状況ではベッテルから教わるどころでなく、ルクレールフェラーリのプレッシャーをすべて背負うこととなった。

ルクレールと重なるアレジのキャリア

ルクレールと重なるのがアレジのキャリアだ。

アレジは89年途中、ドライバー発掘に定評のあるティレルからデビュー。翌90年はアメリカGPでの有名なセナとのバトルを含め、2回の2位表彰台を獲得した。

このとき、フェラーリ内部は90年末の引退を表明したマンセルに代わって、ベネトンのナニーニを獲るかアレジを獲るかで大もめにもめた。

結局、ナニーニとの交渉はまとまらず、まだフル参戦1年目のアレジを獲得することに。(なお、マンセルは引退を撤回してウィリアムズに移籍した)

ここからアレジの受難は始まる。

翌91年のチームメイトはプロスト。2人の関係は良好だったが、マシン開発は失敗し、チームの内情はガタガタだった。フィオリオ監督はシーズン半ばで解任され、プロスト自身もチーム批判によって最終戦を前に解雇された。

92年のF92Aは前年以上の駄作。チームメイトのカペリは戦力にならず、ティフォシから絶大な人気を得た以外はなにも成果のないシーズンとなった。

93年以降はベルガーが加入。94年、95年はマシンの戦闘力も回復した。

95年のアレジ

しかし、一度フェラーリのすべてを背負ったアレジはプレッシャーを分散できなかった。さらに本人には悪いが、開発能力は一切改善しなかった。これはベネトン時代以降も続くことになる。

(本人の名誉のために述べると、タイヤの使い方のうまさは定評があった、とのこと)

メンター不在のルクレール

「F1を分析するアグネスタキオン」さんは、「ベッテルにおけるシューマッハ、フェルスタッペンにおける父親のような存在がルクレールにもいたら、もう少し状況は違ってきたかもしれない」と指摘する。

その指摘は正しい。フェルスタッペンはそれに加えて、クリスチャン・ホーナーやヘルムート・マルコといった首脳陣がいる。ハミルトンも父親のアンソニーマクラーレン時代のロン・デニスメルセデス時代のラウダといったメンターがいた。

タキオンさんは「本当は、ビアンキがそうなるはずだったんだろう」と語っている。ビアンキルクレールの8歳年上。順調にキャリアを重ねていたら良き師匠となったに違いない。

鈴鹿でのクラッシュが元で亡くなったビアンキにささげられた花束

現在のチームメイトのサインツも5歳年上だが、22年は波が大きく、今年はチームへの不信感を抱えている。良き僚友ではあるが、メンターとはなりえない。

私はハミルトンのフェラーリ移籍でルクレールのメンターとなることを期待していたが、メルセデスとの契約延長で可能性は消えてしまった。ラッセルは昨年、大きく伸びたが今年は伸び悩んでいる。ハミルトンは彼のメンターとなるのだろうか。

ほかにルクレールのメンターとなりそうな人物は見当たらない。

驚天動地の「アロンソフェラーリ復帰!!!」ということなら強力なメンターとなりそうだが、かつてチームを出た経緯を考えると、その可能性は限りなくゼロだろう。

ルクレールは「何があっても、絶対にフェラーリは離れない」と断言している。彼が一身に背負うプレッシャーを開放できる人物は現れるのだろうか。

雨も赤旗も止められなかったフェルスタッペン9連勝——オランダGP

9連勝のシーズン11勝目を挙げたフェルスタッペン。トロフィーもいまのところ無事のようだ

フェルスタッペンが母国オランダで3年連続優勝を飾った。シーズン11勝目で、連勝もF1記録に並ぶ「9」に伸ばした。レース1周目の雨も、サージェントのクラッシュによるセーフティーカー(SC)も、終盤の豪雨による赤旗も、フェルスタッペンを阻むことはできなかった。

チームとドライバーの冷静さを思い知る一戦

レッドブルのチーム力と、フェルスタッペンの冷静さを思い知る一戦だった。

1周目の3分の2を過ぎるころ、突如、大粒の雨が降った。ペレスが即座にピットに入ったとき、チームはすでに雨用のインターミディエイトタイヤの準備がすんでいた。素早くタイヤを交換し、ピットロードを駆け抜ける他車の動きを見ながら冷静にコースに送り出した。

突然のタイヤ交換にも平然と作業するレッドブルのクルー

隣のフェラーリは、ルクレールがピットに入ったのにタイヤの準備ができていない。クルーが慌ててタイヤを運び出すドタバタを演じた(彼らは去年のオランダでも同じ失敗をしている)。さらに前方のアルファタウリも同様の醜態をさらした。

(※訂正:初出でピットに入ったのは「サインツ」と記載しましたが、「ルクレール」の誤りでした)

水しぶきで見えづらいが、ルクレールの車載カメラ。あたふたとタイヤを運ぶピットクルーの姿が…

結果論では、少々バタバタしようと1周目のタイヤ交換がお得だった。しかし、雨予報を受けていつでもタイヤ交換できる態勢を整えていたレッドブルと、そうではないフェラーリとの差が表れたシーンだった。

レッドブルは2014~20年のメルセデス専制時代もダブルピットストップを平然とやってのけ、戦術の高度化も怠らなかった。逆境でもクルーの士気は高く、2020年のハンガリーのレース直前にフェルスタッペンのフロントサスを修復した手際の良さは折り紙付きだ。

当時、「彼らが最強マシンと最強ドライバーを手にしたらどうなるのか」と思っていたが、いまそれが実現した気がする。

1周目のタイヤ交換で最も得をしたのがペレス。フェルスタッペンは1周遅れて、瞬間的に13位に落ちた

フェルスタッペンは2周目終わりにインターに換えたが、1周の違いは大きく、一時は中団に埋もれて首位ペレスに14秒差をつけられた。しかし、アルボンや周冠宇らを追い越して2位に上がると、7周目には1周で4秒も速い(!)タイムでペレスを追い上げた。

12周目のドライタイヤへの交換タイミングでフェルスタッペンがペレスの前に出ると、あとは独走状態に。16周目のサージェントのクラッシュによりSCが出たが、フェルスタッペンの障害にはならず、一人旅が続いた。

3位を走るのはアロンソ。このコースの3コーナーは大きくアウト側を走る「アロンソが見つけたライン」で知られるが、アロンソは1周目のこの場所をインベタで走り、ラッセルとアルボンをまとめてかわしていった。

48周目のタイヤ交換の作業ミスで後れを取ったが、52周目にサインツを抜き返して3位を取り返した。夏休み前に失速したアストンマーティンは、アロンソの腕一本で息を吹き返した。

雨の判断が左右した中団勢の争い

このレースは雨の判断が順位を大きく左右した。1周目の雨で得をしたのは真っ先にタイヤ交換したペレス、ガスリー、周冠宇らで、大きく割を食ったのがマクラーレン2台とメルセデス2台だった。

各車のタイヤ交換タイミング。角田のソフトタイヤ使用の異様な周回の長さが際立つ

レース終盤、再びチームに判断を迫る状況がやってきた。雨が予想されたが、降り始めのタイミングが分からない。

各車は40~50周ごろに3回目のタイヤ交換をしたが、早めの雨に賭けてタイヤ交換を延ばし、ソフトタイヤで走り続けたのが角田裕毅のアルファタウリ陣営だった。

40周目には8位前後を走行し、ノリスやハミルトンらを抑え込むバトルをしたが、60周近くになってもチームは角田をコースにとどめ続けた。

下位から一発逆転を狙うならともかく、雨を待ってタイヤ交換を延ばす作戦が成功した事例はあまり記憶にない。特に、タイヤの摩耗の大きい現代F1では。

角田はずるずると後退し、雨が来る前に入賞圏から消えてしまった。

豪雨にも冷静なフェルスタッペン

60周目に雨が降り始め、各車が一斉にインターミディエイトに交換した。64周目には豪雨となり、周がクラッシュ。レースは赤旗中断となった。

約40分後にSC先導で各車がコースに入り、残り5周でレース再開。

残り5周のレース再開時、フェルスタッペンのインをうかがうアロンソ

赤旗前に2位に上がったアロンソはフェルスタッペンのインを狙うが、首位は奪えず。(アロンソはレース後「クラッシュでも起こしたら(オランダ人ファンに取り囲まれて)サーキットを出られなくなるところだった」と笑って語った)

フェルスタッペンは冷静に1コーナーを抜けるとじりじりと2位との差を開き、チェッカーを迎えた。

ペレスはピットイン時のスピード違反を取られて降格し、1周目のタイヤ交換が奏功したガスリーが3位に繰り上がった。

路面がウェットからドライ、再びウェットへと変わったが、ドライ路面でもハミルトンが1コーナーの大外から追い抜きをみせるなど、随所に好バトルが見られたレースだった。

今回は無事ですんだフェルスタッペンの優勝カップ

鈴鹿での王座決定も「射程圏内」か?

フェルスタッペンと2位ペレスの点差は138に開いた。日本GP終了時点で王座を決めるには、イタリア以降の3戦と点差をさらに「42」広げる必要がある。1戦あたり14点。イギリスGPでこの計算を始めたときは「絶対不可能」と思ったが、もはやフェルスタッペンにとっては「射程圏内」になってきた。

(※初出で「残り3戦とスプリント1回と記載しましたが、日本GPまでスプリントはなく、「残り3戦」の誤りでした)

表彰式では優勝者のオランダ国歌を地元の歌手が斉唱した。F1の表彰式で国歌が生歌付きなのは記憶にない。主催者はフェルスタッペンが優勝を逃すとは露ほども心配しなかったのだろう。